■私が感じた対日感情

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韓国の人は、私たちをどのように思っているのか。
旅行に行く前、日本人なら誰でも少なからず気になるはず。
残念ながら私たちは、朝鮮の人々に対して "恩を仇で返し続けた" という、
諸国に口外できない暗い過去を持っています。
「好きでやったんじゃない」
「俺がやったんじゃない」
「そういう時代だったんだ」
などと言い切る人がいます。
けれども、それは言い逃れでしかありません。
なぜなら、間違っても朝鮮の人々には責任がないからです。
「朝鮮のためにやった」
向こうでは、だれ一人、そう思ってる人はいません。
「元寇(げんこう)の時は、朝鮮半島から攻めてきた」
これも間違い。
高麗(当時の朝鮮)は、フビライが治める「元」の属国として強制的に先陣を努めさせられただけ。高麗寇じゃない。
平成16年の今年、中国の大連で行われたサッカーの試合で、想像を絶する反日感情の嵐が吹き荒れました。
中国と韓国は地理的に近いし、同じ辛酸を日本から受けていることから、どうしても連関して想像してしまいがちです。私もそうでした。
また、こうして「反日感情」という問題を考えること自体、日本人は、韓国の人達に対して十字架を背負う宿命にあるともいえます。
しかも、日本はこの問題を過去の些細な歴史として記録するに留め、記憶を曖昧にしようとしています。
一方韓国では「西大門独立公園」を教育の場とし、近代の悪夢を子々孫々に確実に伝えています。
このギャップが、日本人に、より一層
"触れてはならない"
"近くて遠い"
といったイメージを醸成してきたのかもしれません。(右上へ)
「たかが3泊4日のツアーで、いったい何がわかるの?」
と聞かれたら、返す言葉もありません。
それでも私は、できるだけ現地の人と接触し、日本人であることを明かし、現実を肌で感じてみたいと思いました。
そして得た結論は、杞憂だったということ。
私のような普通の「おじさん」に対して、韓国の街の皆さんは、おおむね好意的に接してくれました。
ハングルは不自由だし、怪しい英語を使う日本人 (韓国の人はだいたい英語が上手!) を、辛抱強く理解しようとし、できる限り私の希望や疑問に応えてくれました。
心の深いところで記憶していても、悪政が作った歴史は歴史、人は人。少なくとも日本の知らない街で、誰かに道を尋ねる程度の勇気さえあれば、韓国の「普通の人」と自然にコミュニケートできることを確信しました。
ただ、配慮だけは忘れないでください。
今回のツアーで、こんな事がありました。
人混みの中、高齢のツアー客が、会話の中でつい大きな声で
「朝鮮人」
と言ってしまったのです。一瞬で、その場の空気が凍りました。その人にとっては韓国人=朝鮮人であり、他意のない言葉だったのでしょう。でも、韓国では朝鮮人を "ちょうせんじん" とは読みません。同時にこの読み方は、今でも韓国人の蔑称として認知されています。
言ってしまった年配者を、横目で見つめ囁きあう周囲の人々の表情は、きわめて冷たいものでした。
せっかくの旅行です。なるべくたくさんの、見知らぬ人と出会いましょう。どこへ行ってもそうですが、ここ韓国も笑顔と配慮さえ忘れなければ、きっと貴方だけの楽しい思い出を、たくさん持ち帰れる国だと言えます。必要以上に臆することはありません。
合い言葉は一つ。
「あなたも私も、地球人!」
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